元飛行場は昭和23(1948)年頃まで、仙台の財務局の管理となりました。その後、元の地権者の農民たちに払い下げられましたが、元飛行場の約3分の1にあたる99万平方メートルの払い下げを受けたのは、国土計画興業の堤康次郎でした。
当時、地元住民は1反1千円で国から払い下げを受けました。堤さんは塩田事業を始めましたが、大規模な事業でした。塩田事業では、入り江から海水を汲み上げ、濃縮された海水はパイプラインで双葉町の双葉駅前まで送り、そこで精製していました。
その後、塩田事業は行き詰まり、現在の発電所周辺はまた荒れ地に戻りました。
この地方のひとたちは、この地方のことを“海のチベット”と称していました。
堤は3万円で手に入れたこの土地を、結局、東京電力に3億円で売り払いました。堤康次郎所有の土地の買収が終わったのは、昭和39(1964)年11月27日でした。そのわずか3日後、東電は原子力発電所建設計画を発表しました。実際に建設が始まったのは、昭和41(1966)年度からでした。
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