「いや、諸手をあげて賛成だよ。なにしろ稲作しかなくて、貧農ばかりの町だからな。東電からは原発は安全だと説明されてきたし、これ以上安全なものはないと信じてきた。
でも、地震と津波の翌日、一号機が爆発したときは『やっぱり』と思った。裏切られた気持ちだ。それまで、東電は本当によくやってくれたんだ。土地の相続手続きだって、東電にハンコさえ渡せば全部やってくれた。そりゃ、東電さまさまだった。
――その津波を見たときに、もしかすると原発事故につながると思いましたか?
「いや、思わねぇ。原発は最初から大丈夫と思っていた」
――福島第一原発ができる前は、あの台地には陸軍の飛行機があったそうですね。
――陸軍の飛行機ですから、戦後はなくなりますね。そのあと、どうなったんですか。
――康次郎。
「うん、その人が塩田をやった」
――原発ができて、双葉はどんどん豊かになっていったという実感はあったんですか。
「んだな。働く場ができたからな。原発ができる前は、遠くに出稼ぎに出ねばなんかったからな」
――遠くというと?
「岐阜とか岩手のダム工事だ。水力発電所だな」
――1回出稼ぎに行くと、何日くらい帰ってこれないんですか。
「3カ月くらいだな」
じゃ原発ができてから、そんな遠いところに出稼ぎに行く必要もなくなったわけですね。
「うん、そうだ。原発にはいろんな関連工場もあるからな。だからどの家も、原発に関係ないなんて人はいないな。誰か言っていたな」
”原発銀座”といわれる「濱通り」の貧しさがあらためてわかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿