「東電エリートOLの渡辺泰子は、夜な夜な渋谷区円山町の街角に立って男たちを誘った。彼女と同じ部署にいた東電の上司は、渡辺泰子が『昼の顔』とは別の『夜の顔』をもっていることを知りながら、注意するわけでもなく彼女をにやにや笑いながら見ていた。
佐野氏が『東電幹部たちの慇懃無礼という他ない対応』と言ったのは、そのことを指している。
彼女は“夜の仕事”に疲れてよく東電本社の会議室で寝ていた。それを東電の上司たちは、注意するわけでもなく面白そうに眺めていた。それは、一種の虐待、もっというなら屈折したセクハラだった。
渡辺泰子は、最後は殺されるかもしれないことを覚悟して売春生活をつづけた。彼女が売春に走ったのは、東電のこうした陰湿な体質や、自分をそういう形で無視する男たちへの彼女なりの復讐だったのではないか。
渡辺泰子は『本当のことを言おうか』と言い続けて死んでいったような気がする。しかし、東電は彼女が売春婦だったことは最後まで認めなかった。
この事実は、今回の原発事故について最後まで本当のことは言わず、事実をあくまで隠蔽しつづけた東電の姿勢に重なる」と書いています。原発事故と渡辺泰子さんの件を同一視するのは、どうかと思いますが、直接会い、取材した佐野氏には、同じように見えたのかも分かりません。
避難所に当てられた「ビッグパレットふくしま」内の東電補償受付で、佐野氏は相談していた女性を呼び止めて話を聞きました。
「彼女は36歳で、元々富岡町のアパートで暮らしていたが、地震発生後、八王子のおばさんのところに身を寄せ、現在は福島の避難民は家賃が半年無料になる茨城県取手市のURのマンションに住んでいる。今日はバイクで2時間かけて郡山まで来た」といいます。
――3月11日はどうされていたんですか。
「大熊町のディスカンウントショップでお惣菜の揚げ物をやってました」
――揺れはどうでしたか。
「もうハンパじゃなかったです。揚げ物の油がジャッパン、ジャッパン飛び散って。お客さんから揚げているところが見えるように、前は対面式の透明なガラスになっているんですが、そのガラスなんか全部割れちゃって」
――そのとき、すぐに原発は大丈夫か、と思いましたか?
「いや、まず津波でしたね。お店が海のそばだったもので、原発はまったく頭にありませんでした」
間もなく、避難を指示する町の放送が流れた。彼女が店を出たのは地震発生から2時間近くたった4時半過ぎだった。
夜ノ森のアパートにどうにか帰ると、室内はメチャクチャだった。その日は、一晩、車の中で過ごし、翌日、八王子に行ったといいます。
――八王子に避難したのは、やはり原発事故への恐怖からですか。
「そうですね。元原発作業員だった父親が、ここにはもうおれないから、とりあえず東京に行けと言ったんです。」
――それはどんなタイミングで言ったんですか。
「一号機が爆発したときです」
――その時、お父さんは何と言っていましたか。
「テレビでは騒ぐから言わないだろうけど、これは絶対ヤバイはずだと言っていました。東電にはダマされたとも言っていました」
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