2011年12月5日月曜日

佐野眞一の津波と原発(12)

 郡山を離れた佐野氏は車で福島第一原発に向かいました。郡山から磐越自動車道をいわきジャンクションで常磐自動車道に乗り換え、いわき四倉で陸前浜街道と呼ばれる国道六号線に入るルートをとりました。

車には、ウクライナ製の放射能測定器と、中央に青い縦線が入って純白の放射能防護服を念のため積み込みました。

車が広野町から東電福島第二原発がある楢葉町に入ると、ひとわき立派な楢葉町役場の建物が見えて来ました。役場のすぐそばに、唐破風の屋根がお城の天守閣を彷彿とさせる木造三階建ての日本建築が見えました。

近づくと、役場を見下ろすような高さです。裏側に回ると、庭の石垣は崩れ、家は大破していました。この大豪邸は高木昌祺(74)という楢葉町の元収入役の家だということがわかりました。

高木氏は収入役を辞めたあと、町議選に出馬しましたがあえなく落選しました。このとき、町では、あんな豪邸を役場のまん前に建てるなんて偉そうにしすぎだ。何が町議だと反発があったといいます。

高木氏は昔から会津の鶴ヶ城に憧れており、そんな家に住むのが長年の夢だったそうです。

「三階からの眺めは、それこそ天守閣じゃないが、最高でした。第二原発はむちろん、遠く太平洋まで見渡せた。それがこんなことになっちゃった。もう断腸の思いです。

経産省、福島県、東電の説明を聞き、大丈夫だと信じて第二原発の誘致に関ったのは事実です。それを思うと東電には裏切られた気持ちでいっぱいです」と話していました。

広野町と楢葉町にまたがるJヴィレッジは、東電が130億円も出費してつくられた日本最大級のスポーツ施設です。福島第一原発の事故後は、スポーツ施設としては全面閉鎖となり、原発事故の最大の対応拠点となっています。

ちらほらと葉桜になりかかった枝には、飼い主を失って野犬化したペットが餓死するのを待って、その肉をついばもうとするカラスが群れをなしてとまっていました。

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