原発内はその日、どうだったのか。それだけでも当日原発内で働いていた労働者に聞いておきたかったと佐野氏は語っています。
彼は当日、点検中の五号機のタービン建屋の地下一階で働いていました。
――そのときはどんな状況だったんですか。
「地面の底からドーンという大きな音がして、『あ、地震だな』と思っていたら、またドーンときて、気がついたら、電気がみんな消えちゃったんです」
――電気がすぐ消えた?
「ええ、非常灯しかついていなかった。そのあとはすぐに避難放送が入って。すぐ出て下さいっていう。それで地下一階から段階を上がって外に出たんです」
その夜は、自分の車で富岡町の寮に帰ったが、部屋の電気がつかないので、車の中で寝た。翌日の一号期の水素爆発は、携帯電話のワンセグで知った。
3月11日の地震発生以来、この原発労働者には下請け会社からは何の連絡もないといいます。
佐野氏は、「不思議なことに、大津波に襲われた三陸地方の被災者のような切迫感はいま一つ伝わってこなかった。この差は、もしかすると、黙っていても“見えてくる”津波と、どうやっても“見えない”放射能の違いからくるのかもしれません。
大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。それが、福島の被災者が三陸の被災者のような物語をもてない理由のようにも思われた。
放射能被曝の本当の恐ろしさとは、内面まで汚染して、人をまったく別人のように変えてしまうことなのかもしれません」と書いています。
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