父親が宮城県旧牡鹿町(現石巻市)の元町長で、小さいころから政治を近くで見て育ちました。早大時代、政治家を志してか、かつて海部俊樹、小渕恵三両元首相らを輩出した雄弁会に所属しました。
「大学卒業後、NHKに入社し、政治部記者を経験して退社したのちに1993年の衆院選に無所属で出馬しましたが落選しました。96年に民主党公認で再挑戦してやっと当選しました。
安住氏が注目されたのは、2005年の小泉郵政選挙で、宮城県選出の民主党候補が全滅するなか、安住氏だけが議席を死守して「選挙に強い」を印象づけました。そして、前原誠司代表のもとで選対委員長に抜擢されました。
昨年の参院選も、安住氏は選対委員長として臨みましたが大失敗し、衆参ねじれを招きました。まさに戦犯です。ところが、菅直人前首相(64)は責任追及をしませんでした。
民主党の関係者からは、降格すべきなのに、調子よく立ち回り、主要ポストを手に入れ、『民主党の牛若丸』と揶揄されています。
「今年6月、菅首相が退陣条件とした2011年度第2次補正予算案をめぐる民自公3党の幹事長・国対委員長会談が行われました。一部に『これは1・5次補正』という声があったため、自民党の石原伸晃幹事長が『2次でいいですね?』と念押すと、安住氏が『そうじゃなかったら、後ろから(菅首相の)首を絞める』と発言しました。公明党の漆原良夫国対委員長は『君は軽い。だから信頼を失う!』と激怒したそうです。
英紙インデイペンデントは「49歳の安住氏は日本の政治の基準で行くと赤ちゃん」「経済財政について公式発言はない」と嘲笑しています。
安住氏の軽薄さは、自身の政治生命だけでなく、日本経済にも悪影響を及ぼしかねないとジャーナリストの田村建雄氏は述べています。
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