4日目です。
尖閣諸島(中国語名は釣魚島)は、古くからその存在について日本にも中国にも知られていましたが、いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。明治19(1884)年に福岡県の古賀辰四郎氏が、尖閣諸島をはじめて探検し、翌85年に日本政府に対して同島の貸与願いを申請しました。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで明治30(1895)年1月14日の閣議決定によって日本領に編入しました。1895年1月に日本領に編入され、今日にいたっています。
歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為であり、それ以来、日本の実効支配がつづいています。
所有者のいない無主の地にたいしては国際法上、最初に占有した「先占」にもとづく取得および実効支配が認められています。日本の領有にたいし、1970年代までの75年間、外国から異議がとなえられたことは一度もありませんでした。日本の領有は、「先占」の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです。
中国、台湾が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたきっかけは、海洋資源です。昭和43(1968)年10月12日から11月29日にかけて、日本、中華民国、韓国の海洋専門家が中心となって、国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)の協力の基に、東シナ海一帯にわたって海底の学術調査を行いました。そして、翌年5月、東シナ海の大陸棚には、石油資源が埋蔵されている可能性が高いことが指摘された。これが契機になって、尖閣諸島がにわかに関係諸国の注目を集めることになったのです。図々しいことに、この2年後に、台湾と中国が相次いで同諸島の領有権を公式に主張しています。台湾が70年に入って尖閣諸島の領有権を主張しはじめ、中国政府も1971年12月30日の外交部声明で領有権を主張するにいたりました。
同諸島はそれ以降、歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、明治30(1895)年5月発効の清国との下関条約第2条に基づき、わが国が清国より割譲を受けた台湾および澎湖諸島には含まれていません。
したがって、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づき、わが国が放棄した領土のうちには含まれておりません。第3条に基づき、南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。これらの事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。(明日に続く)
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