領有権問題の3日目です。
尖閣諸島の領有問題がマスコミに取り上げられたのは、昭和45(1970)年7月に台湾政府がアメリカのガルフ・オイルの子会社であるパシュフィック・ガルフ社に、北緯27度以南の台湾北東海域(尖閣諸島が全部入る)の探査権を許可したことに始まります。これに対して、わが国政府は同年8月、愛知外相(当時)が参院沖縄・北方特別委員会で台湾政府がとった措置は、国際法上違法であり、その旨を台湾政府に申し入れたことを明らかにしました。
この問題は、その後、台湾政府が探査採掘の権利は、台湾政府にある旨を表明、同政府立法院で尖閣諸島の領有権は台湾にあると言明したのです。また台湾水産試験所所属の海憲丸が魚釣島に晴天白日旗を立てるなどの行為を行ってわが国政府の申し入れを拒否する姿勢をとりました。これに対してわが国政府は台湾政府に再々抗議しましたが、実質的にはほとんど進展しませんでした。一方、中国も台湾政府のとった措置は、中国の領土侵犯であると非難ました。
昭和46(1971)年の沖縄返還に際して、アメリカ国務省は、「アメリカは尖閣諸島を含む南西諸島」の施設権を47年中に日本に返還する」旨の見解を発表しました。またアメリカ上院外交委は、沖縄返還協定の審議にあたって本会議への勧告書の中で「沖縄返還協定の取り決めは尖閣諸島に関するいかなる国の主権保有の主張にも影響を及ぼさないことを確認する」との見解を公式に表明して本会議の支持を得ました。
ところが、最近になって、米政府の一部は、施政権は日本にあるが、領土権を日本にあると認めたわけではないと発言したりしています。こずるいアメリカの政治家には、当時のことを忘れさせぬようなロビー活動は、不可欠です。また、国連の場で、日本の支持者を増やすとともにPR活動は不可欠です。ワインボケしている外交官は、叩き出さないといけません。
その後、尖閣諸島の領有問題は、日中間で棚上げされたまま、対立が続いて来ました。その理由は、わが国政府に日中平和友好条約交渉に尖閣諸島の領有問題を出すのはマイナスとの判断があったからにほかなりません。
ところが昭和53(1978)年4月に中国の武装漁船団が、わが国の領海を侵犯する事件が発生しました。わが国政府に大きな衝撃を与えました。この中国の領海侵犯事件をわが国家主権の侵害と受け止め、日本青年社総本部は、尖閣諸島を実効支配するために「上陸決死隊」を結成し、同年8月11日、同諸島の魚釣島に上陸して灯台を建設し、同12日、日中平和友好条約調印の日に、建設した灯台にはじめて「尖閣の灯」をともしました。中国を刺激しては好ましくないということで、大きくは報道されなかったようです。
昭和63(1988)年には灯台建設から10年経ったことを記念して現在の第2灯台を建設しました。
この灯台は海上保安庁の指導を受けて建設した灯台で、一級灯台の資格を備えていましたが、政府は、認可申請を「時期尚早」と言う理由のみで、許可していません。
そのような状況下で、尖閣諸島の魚釣島の灯台を日本青年社は守り通して来ましたが、政府から国家で管理したいという申し出があり、平成17(2005)年2月9日をもって無償移譲しました。これによって正式に国有灯台となり、現在は国家機関が維持管理を継続しているということです。
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