2012年5月28日月曜日

原発ゼロは危険な社会実験だ

 標記のことを京都大学原子炉実験所教授の山名元氏が産経新聞の正論に投稿しています。わたしは、この論には、反対です。今、広瀬隆の「ジョン・ウエインはなぜ死んだか」(文春文庫)を読んでいます。読み終わっていませんが、簡単なことでは、この論には賛成できません。ジョン・ウエイン、ゲーリ・クーパー、ステーブ・マクインほか、多くのスターがネバダ・ユタ・アリゾナでの原爆実験の放射能によるガンで亡くなっています。原発推進論者は、危険な臭いを感じます。

以下、山名氏の言い分です。
「わが国は、デフレ・財政問題・円高・災害といった困難の中で『沈没』の危機にすらある。全員が乗った船の沈没を止める措置として再稼働の是非が問われているのに、まるで『氷山に衝突して沈み行くタイタニック号の上で責任追及と政策変更の論議を延々と続けている」ようである。

原発ゼロによる現状の危機は、将来の脱原子力による日本経済への深刻な影響を先取りしてみせているという側面もあり、ある種の『危険な社会実験』に突入してしまった感がある。

ピーク時の停電危機を厳しい節電などで乗り切れたとしても、供給余力がほとんどなく停電リスクが常に存在し、節電要請が頻繁に発生し、火力発電に過剰依存するような、電力供給体制の『体質的脆弱性』が継続的に存在する。

トラウマ的な感覚だけから再稼働を遅らせて社会的ダメージを被る損失はあまりに大きく、絶対安全とまでは言えなくとも、十分な安全の『余裕代』を確保できれば、再稼働して社会リスクを回避するメリットの方が高いという判断は十分にあり得る」
 こういうことを言う原発推進派がいるが、このひとたちは、何か起こったときに何ら責任をとらない。原発がなくなれば、このひとたちの仕事がなくなるからだろうが、それならそれで、原発をもっと安全にすべきである。安全にしないでいて、原発を再稼動しないのは、全員での自殺に向かうものであるという仙谷議員のような人もいるが、言っていることは、同言異句である。

さらに、山名氏は
「安全を確保し社会の安心を獲得することが最も現実的ではないのか。
そのための指導力が政治に求められている。政府が率先して社会リスクの存在や実効性ある安全確保の状況について、国民や関係自治体に説明を行い、明白な手続きに基づいて再稼働を急ぐことは、『日本沈没』を阻止することにほかならない」
 と書いていますが、政府主導などは、まったくの逃げです。かれらは、何の知識もなく、おそらく、この山名氏などの意見を学識者の意見として、錦の御旗にするのでしょうが、古今、この学識経験者ほど危ないものはありません。

 わたしは、ここ1年や2年は、原子炉を止めてでも、安全について、十分に意見を出し尽くすべきだと思います。再稼動すると、あとには戻れません。

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