これだけ、その予想が当たったのに、マスメディアは反発発の旗手の弘瀬を登場させる気配はない。広瀬は現在も“上映禁止物体”と言われているらしい。
反原発の教祖的存在となった広瀬と、KKニッポンを誤らせたコンサルタント大前研一は、同じ時期に早大理工学部に学んでいる。その後、なぜ、二人はまったく相反する立場に立つことになったのか。
広瀬は脅しを恐れない方向に進んだのに対し、大前は、いわば「脅す側」に立ってしまった。
大前はマサチューセッツ工科大学を経て日立製作所に入り、原子力開発部で高速増殖炉の炉心設計をやったこともあって、原発危険論者を強く非難する。広瀬は「チェルノブイリと日本の運命」と副題のついた『危険な話』で、そうした議論の愚かさと怖さを具体的に説き明かした。『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(文春文庫)では、アメリカの核実験がいかにその近くでロケをした多くのスターとスタッフの命を奪ったかを、息もつかせぬ迫力で描き切っている。
「原発兵士(アトミック・ソルシャー)の訴えはアメリカでことごとく却下され、風下住民は泣き、ハリウッド映画人も無念の涙を吞んできた。事実を認めようとしないこの“科学者集団”への態度は、多くの読者にとって野放しの危険を想像させるものであろう」と書いている。
『億万長者はハリウッドを殺す』(講談者文庫)で、そうした核というものをだれが生み出させたのかを探っていって、ロックフェラーとモルガンにぶつかり、アメリカを彼らがいかに支配しているが、証明しようとした。
核と麻薬はもちろん違うが、いずれも人類にとって、「許せぬもの」である。広瀬はそれに義憤のペンを揮う。
広瀬は1982年に反発の市民運動グループ「緑の会」のリーダーとして、『東京に原発を!』という刺激的な本を出した。今度の東京電力福島原発の大事故で明らかになったが、福島住民犠牲の上に首都圏の「明るい生活」はある。安全というなら、東京にこそ原発をつくればいいではないかという広瀬の主張は多くの人の共感を呼んだ。
ために逆に東電や国策としての原発を推進したい人からは、広瀬は蛇蝎の如く嫌われたのである。
広瀬はチェルノブイリの事故に触れながら、こう言っている。
「100万人単位の死者を出すわけですから、大事故が起きたときに最終的な責任がだれにあるかを国会の場で追及し、その実名を記録しておくべきです。フランスの薬害エイズ事件で政治家にも有罪判決が出たように、責任を明確化すればいい。日本人は、権力に対してあきらめがよすぎて自己規制するが、そこを乗り越えないといけない。原子力産業なんてあと一押し二押しで終わりなんです」
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