2009年6月13日土曜日

奈良・興福寺の中金堂復元

 東京博物館の阿修羅展が7日に終わりました。この阿修羅像は、西金堂の群像のひとつでした。興福寺には、金堂が、中、東、西とありました。今回、再建されるのは、中央の中金堂です。そして、再建される中金堂の基壇が完成したと3日発表されました。興福寺中金堂は、平城京遷都の西暦710年、藤原不比等により創建されました。すなわち、藤原氏の氏寺です。その後、焼失と再建を繰返し江戸時代(1717年)の焼失後は、1世紀以上も再建されず、1819年(文政2年)に篤志家の寄付によってようやく再建されました。この文政再建の堂は仮堂で、規模も以前の堂より一回り小さくなりましたが、興福寺国宝館の開館(1959年)までは、高さ5.2メートルの千手観音像をはじめ、多くの仏像が堂内に安置されていました。また、朱色に塗られていたため「赤堂」とも呼ばれていました。あくまで仮の堂として建てられたため、長年の使用に不向きである安価な松の材木が使用されており、経年による雨漏りがひどくなり1974年に中金堂裏側に仮金堂(奈良・薬師寺の旧金堂を移築したもの)が建てられ、本尊などはそちらに移されました。平城遷都1300年で、同寺創建1300年となる来年10月に立柱式を行い、2017年度の完成を目指し、11月7日に地鎮・鎮壇法要を行います。
 中金堂の基壇は、2005年の着工で、東西(幅)40・4メートル、南北(奥行)27・7メートル、高さ1・6メートル。耐震のために鉄筋コンクリートの層を作り、その上に東西(幅)36・6メートル、南北(奥行)23メートル、高さ19・6メートルの中金堂を建立する予定です。 
 11月の法要では、天平時代に地鎮のために埋められた鎮壇具を再現。「佐波理」と呼ばれる銅とすずの合金でできた大盤7枚に金や銀などの宝物などを盛り、基壇中央の土中に埋めます。
 復元に必要な巨木材は、アフリカ産の欅が天理市の貯木場に確保されています。もう日本の材木では、寺の再建は出来なくなったようです。古代工法で再現できる唯一の宮大工と言われた故西岡常一氏によりますと堂宇に使われる木材は、檜が一番いいそうです。1000年、2000年の檜を使うと2000年はもつそうです。また、建てられる土地の材木を使うのが、一番いいということでした。これも無理ですね。
 奈良は、遷都1300年に向けて平城京の大極殿などが再建されています。再建されなくとも、今次の戦火の被害を受けませんでしたので、多くの堂宇、仏像が残っています。日本の古来の文化を知るには、いい環境だと思います。

0 件のコメント: