「兵を退くか、奇策を用いるかでしょう」
「兵を退けば、呉軍は勢いに乗って追撃してくるであろう」
「奇策は成功するとはかぎりません」
勾践は
「仕方がない。ここは奇策に賭けよう」
と覚悟を決めた。
大夫の霊姑浮(れいこふ)は
「われわれ、力仕事ならば、なんでもするが、奇策は駄目だ。奇策は范蠡どのにお願いするしかない」
と、范蠡を急かした。
「従軍している重罪人は60名でしたな」
今から言う奇策をいうのを躊躇われた。
「囚人をどうするのです」
霊姑浮が、またも急かした。
「かれらに死んでもらいましょう」
と、范蠡は答えた。あと、腕組みをした。
かれは60名の囚人を集めて言った。
「諸君の命を貰いたい。そのかわりの諸君の家族には大きな恩賞を与える。ここで約束しよう。文書にも残しておく。諸君の命で越を救い、諸君の父母や子たちは、のち裕福な生活ができるだろう。命の捨て所を考えてほしい」
60人の囚人は、いずれも死刑判決を受けたものばかりなので、刑の軽い囚人に比べると投げやりなところもあり、上官の命令でも聞かずに
――文句があるなら、早く殺せ
とうそぶく始末であった。
范蠡はかれらに命令を伝えた。
20名を一隊として、3隊作り、一人ひとりに鋭利な短剣を与えた。
そして、越軍の陣地で突如音楽が鳴り響いた。越軍の音楽隊が全員で演奏した。行進曲である。
呉の陣地でも突然の大きな音楽を聴いてそわそわと落ちつかなくなった。
伍子胥は大声で
「ただの音楽だ。おちつけ!」
(范蠡の智慧もこんなものかと思った)
だが、音楽だけではなく、20人の短剣を持った兵士が、横一列になって、呉の陣地に向かって歩いてきた。
呉の陣地も騒がしくなってきた。
「なんだ、なんだ、どうしたのだ」
伍子胥は、一斉に矢を放って、終わらせようと思ったが、范蠡の出方が読めなかった。
闔閭の命令は、しばし相手の出方を見よであった。
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