部下に問うた。
「たしか、楚から来たと申しておりました」
「子連れであったな」
光は、この乞食がだれか想像がついた。楚の伍子胥が太子建の子を連れて楚を出奔したという情報は光の耳にも達していた。
「橋の乞食を連れて参れ。ただし、客として遇せよ。粗相があってはならぬ」と部下に命じた。
家来は、命ぜられたように丁寧に
「ひとつご同行願えぬか」
と話しかけると、乞食は、
「公子光殿のお出迎えかな」と、光の家来に同行して光の邸に入った。
この日から、伍子胥の新しい一日が始まった。楚の伍子胥といえば、知らぬものはなかった。
公子光の腹心として、昇殿も許され、国政にも参与するようになった。
――父と兄の仇は討つ――は、これはだれにも隠さなかった。
国政に参与するようになると、伍子胥は呉王の僚に
「楚を攻めましょう。楚のことなら、わたしがすべて知っております」
と進言した。
しかし、取り上げられなかった。
公子光は
「わしが反対したのだ。今、楚を討っても呉に対して利益はない。伍子胥は怨念のために楚を討ちたがっているだけです。これに乗っては、国の進路を誤らせます」
とわしが言ったのだ。
「さようでございますか」
伍子胥は頭を下げた。
ある日、光は伍子胥に、
「子胥よ、城を築ってくれぬか」と突然言い出した。
楚は黄河中流の、中原の城郭をもつ国家と交渉を持っていたために早くから築城の技術をもっていた。伍子胥は楚でも築城に詳しいと見られていた。
「その言葉をお待ちしておりました」
と、伍子胥は答えた。
「しかし、小さな城でよいぞ」
と、光は言った。
「えっ」
伍子胥は光の顔を見直した。
光は豪放な男とひとには見せていた。みみっちいことは嫌いであった。
それが、小さな城でよいという。
伍子胥は、あるじの顔からその答えを読み解こうとした。
伍子胥が答えを出す前に光はあっさりと言った。
「大きな城はあとで造れる」
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