政府の弁護士は、その一部始終に耳を傾けたあと、
「あり得ないことです。あのような微量の放射線で人が死ぬはずはありません」
と、はっきり因果関係を否定しました。
マーロ・ストーンズは、「私は一人息子を癌で失いました。どれだけ多くの人間がこの世に居ても、私にとって、彼以上の存在を考えられません。1968年だったが、息子の脚に腫痬が見つかりました。15歳の若者に、“脚を切断しなければならない”と言うのは辛いことでした。しかし、その脚を切断しました。
ある晩、彼を風呂に入れてやったが、立ち上がったときに、残りの脚が折れてしまいました。別の腫痬ができていたのです。彼は死にました」
裁判所では、原告がそれを語りはじめるや、アメリカ政府は、この一切の訴えを否定しました。
実は、ポール・クーパーに代表される人々がこの問題に取り込んだとき知ったのは、危険はすべて予知され、大被害が発生していると知りながら、核実験が続けられてきた、という慄然とすべき事実でした。
セント・ジョージの住民は、殺されたのも同然です。
以下は、みな、公式の文書であり、公式のアナウンスです。
★埃さえかぶらなければ、放射能を受けることはありませんーー陸軍当局
★安全を守るために、あらゆる対策がとられているので大丈夫ですーー国防省ロバート・R・コンロー
★これからおこなわれる実験は、すべての人類にとって利益となるものです。多少の危険があるからと言って引き返すようなことはできませんーー国防省
★まったく危険はありません。まったく危険はありませんーーAEC(原子力エネルギー委員会)ラジオ放送
★核実験の恐怖は、共産党によるデッチあげであるということが、充分に考えられますーーネバダ州上院議員ジョージ・マローン
★核戦争に比べれば、核実験によって起る危険性は、小さな犠牲にすぎないーートルーマン大統領
かくしてB期間終了の前年(ポール・クーパーが被ばくする直前、1957年3月)には、つぎのような内容のパンフレットが住民に配布されました。
フィルム・バッジ、コンピューター、モニタリング・ポストなど、さまざまの精密な機器を使って、絶えず放射能の監視を行っていますので安全です。
測定の結果、近くで生活する住民が受ける放射能は、人体に対してまったく影響のないことが明らかにされてきました。
年間の最高被ばく量は、過去6年間を調べたところ、つぎの通りでした。
セント・ジョージ 500ミリレム
シーダー・シティー 70ミリレム
(注――500ミリレムとは、現在の日本での安全基準と同じである。1シーベルト=100レム)
これらの数値は、私たちが自然から受ける放射能100ミリレムと比べて、ほどんど変わらない安全な量です。また、医療に使われている放射能より、ずっと低いものです。
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