今年の正倉院展は、平城遷都1300年祭もあって、展示物も良いものが多いとテレビ(NHK)や新聞に書かれていました。わたしも11月11日の閉展間際に見学に行きました。たしかにNHK教育テレビでも報じられた螺鈿紫檀五弦琵琶、伎楽面、銀壺、鳥獣花背円鏡は、見るべき価値がありましたが、そのほかは、特別に思えませんでした。それに、良弁、道鏡の書がありました。これについては、明日、述べたいと思います。
歴史のおさらいになりますが、正倉院について説明をしておきます。
正倉院は、奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置しています、高床式の大きな校倉造の倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していました。
正倉院自身は中に入ることは、もちろんできませんが、外構すらも、春、秋の正倉院展開催中にしか、見ることが出来ません。
献物帳、国家珍宝帳に記載されているのは、756(天平勝宝8)年に、光明皇后が、夫の聖武天皇の七七忌に、天皇遺愛の品、約650点と、約60種の薬物を東大寺の廬舎那仏に奉献しました。その後も光明皇后は3度にわたって、自身や聖武天皇ゆかりの品を大仏に奉献しています。これらの献納品については、現存する5種類の「献物帳」と呼ばれる文書に目録が記されており、これらの宝物は正倉院に収められました。
正倉院宝庫は、北倉、中倉、南倉の3つに区分されています。北倉には、おもに聖武天皇・光明皇后ゆかりの品が収められ、中倉には東大寺の儀式関係品、文書記録、造東大寺司関係品などが収められていました。また、950(天暦4)年には、東大寺内にあった羂索院の双倉が破損した際に、そこに収められていた物が正倉院南倉に移されました。南倉宝物には、仏具類のほか、東大寺大仏開眼会に使用された品々などが納められていました。その後、長い年月の間には、修理などのために宝物が倉から取り出されることがたびたびあり、返納の際に違う倉に戻されたものなどがあって、宝物の所在場所はかなり移っています。倉ごとの品物の区分は、明治時代以降、近代的な文化財調査が行われるようになってから再整理されました。(明日に続く)
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