2010年11月11日木曜日

『ペリーの来航と鯨』(1)

 これも吉村昭氏の『白い道』の載っていたものです。
ここで、少し長いが、引用します。
「『海の祭礼』という歴史小説を書いたが、筆を進める間、奇妙な感慨を覚えた。時代はアメリカ使節ペリーが来航した幕末なのに、現在の日本をアメリカの状態をみているような錯覚に襲われたのである」と書いています。

 さらに「江戸時代も幕末に近づくにつれて、日本近海に異国船の出没がしきりになり、船員の上陸騒ぎも起こった。鎖国政策をかたく守る幕府は、それらの船を容赦なく撃ち払うことを布達し、やがて、国際紛争に発展することを恐れて食糧、燃料をあたえて穏便に退去させるよう改めた。

 そのような時期に、ペリーが黒船4隻をひきいて浦賀に来航したのだが、幕府は、アメリカが鎖国政策を全面的にくつがえす自由貿易を強要するものと考え、激しい動揺をしめした。

 しかし、ペリーの来航目的は、捕鯨業の発展と太平洋航路開発のための港の確保につきていた。

 当時、アメリカの捕鯨業は世界一の規模をもち、採取された鯨油は灯火や機械の潤滑油など用途はひろく、ローソクは重要な輸出品になっていた。捕鯨船は大西洋から太平洋に進出し、日本近海が世界屈指の好漁場であることを知り、殺到した。出没した異国船は、これらの捕鯨船であったのである。
アメリカは、大漁場の中央にある日本に捕鯨基地の港を得れば、漁獲量は飛躍的に増大するので、それを第一の要求事項とした」。

 さて、これほどにクジラをとっていたアメリカが、いまや、捕鯨反対です。アメリカという国は、自国の利益を最優先するところがあり、これは今日まで続いています。極端に言うと、アメリカ海軍は、捕鯨業者のために日本に開港を求めたと言えます。(明日に続く)

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