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蚶満寺境内に建つ西施の石像 |
范蠡によって夫差好みに育てられた女は西施(せいし)という。
勾践のかすかな非難の表情を見て、范蠡は
「これは、昔から使われた手法です。かの妲己(だっき)も殷の紂王を暴虐に誘い、殷を滅亡させるために育てられた女でした」
勾践は、今となっては、これに期待せねばならないが、憮然とした表情をした。
勾践はあまり期待をしなかったが、西施が呉王夫差を動かした。
西施の役目は、それほど難しいものではなかった。
臥薪している夫差を本来の性格に戻すだけでよかった。
夫差は復讐の怨念の仮面を被るはいやで堪らなかった。
今、会稽山を厳重に囲み、父の仇の越王は袋のネズミであった。復習は、もう果たされたも同然であると思った。
そこに西施というすばらしい美少女が現れた。この世の汚れを知らぬ処女であった。西施は若いが言うことは、いちいち理屈に適っていた。夫差は美人でも愚かな女は嫌いであった。西施は夫差の理想的な女に思えた。
――夫差は西施に夢中になった。
「越を追い詰めては、怨みが残ります。怨みの道は、人の道ではありません」
西施に言われると、たしかにそうだと思った。
「わたしたちは、楚の人間ではありません」と、西施は言った。
このとき、楚の出身である伍子胥のことが、頭をかすめた。
楚は現在の湖南省、湖北省をさす。ここは、情熱家の産地で古来、激しい人物を産んだ。毛沢東主席は湖南で、劉少奇も湖南であり、副主席の林彪は湖北で、長老の董必武も河北だ。
その楚の人である伍子胥は
「今は天が呉に与えたもうた機会です。この機に越を滅ぼしてしまいましょう」
と、夫差に勧めた。
だが、夫差は首を横に振った。
「復讐はすでに成った。父との誓いは果たした。越は滅びたも同然だ。これ以上、屍体に鞭打つことはせぬ」
もうひとりの重臣伯嚭は越に買収されているので、越王を許すことに賛成した。
伍子胥は、
「あとできっと後悔されますぞ」と、言ったが負け犬の遠吠えのようなものであった。
越王勾践は許されたが、会稽山を包囲され、呉に降伏した屈辱は身にしみた。
これを忘れぬために部屋に胆を吊るし、寝起きには、必ずこの苦い胆を嘗めた。
夫差の復讐を忘れぬために薪の上に寝た『臥薪』と勾践が苦い胆を嘗めたという『嘗胆』をあわせて『臥薪嘗胆』という四字熟語が出来た。
勾践は胆を嘗めるたびに
「汝、会稽の恥を忘れたか!」と叫び、おのれを叱咤した。
ある日から范蠡は越王勾践に内政のことや軍事のことを事細かに教え始めた。
「あとで、ゆっくりよいではないか。今生の別れでもあるまいに」と勾践は言ったが、范蠡は、
「たしかに今生の別れにはならないでしょうが、しばらく分かれねばならないでしょう」
と言い、教えを続けた。