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范蠡と西施像 |
越の密使がこのことを伝えたところ、夫差は謝して言った。
「私は年老いて、もはや君主に仕えることはできません。ただ、その綬は頂戴いたしましょう」
綬とは官職のしるしとして帯びる印鑑のひもについた飾りで、戦時にあって臨時応変、旗の代用にもした。密使がたずさえていたのは、百家の長の綬であった。巾は三尺である。
綬を受取った夫差は、家臣にむかって、「わしが死んだあと、顔にこの綬をかけてくれ。あの世へ行って、伍子胥に会わせる顔がないからのう」
と言った。
夫差は自刃して果て、呉は滅びた。
ときに周の元王3年(前473)であった。
「王もこれまでの王とは違うようになるぞ」
范蠡はそう予見した。
「長居は無用だな。」
彼はそうひとりごとを呟き、身を退くことを考えた。
呉の滅亡のとき、彼はひそかに西施を救い出して、我が家に隠していた。その西施を范蠡は愛した。だが、彼女は、「あたしは越の国では暮らせませぬ。敵国の呉王に寵愛された女よと、ひとに指さされます。あたしが越のためにわが身をささげたことは、范蠡さま、あなたお一人だけがご存知でございます。誰もわかってくれません」
と、泣きつづけた。
「よし、ではこの越を出よう」
范蠡は西施を連れて、海路、斉へ行った。
彼は斉から越の大臣種に手紙を送り、
「鳥がいなくなれば、良い弓でもしまわれます。兎が死に絶えると、猟犬も煮られて食われるものです。越王の人相は、頸が長く、口は鳥のようにとがっていますが、このような人物は、苦しみを共にすることはできるが、楽しみを共にすることはできません。あなたはどうして越王から去らないのですか」と忠告した。
はたして越王勾践は、種を疑って自殺を命じた。
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