2015年6月9日火曜日

十八史略(69)-伍子胥と呉越戦争(30)

范蠡と西施像
 予想は范蠡のほうが当たっていた。

越の密使がこのことを伝えたところ、夫差は謝して言った。

「私は年老いて、もはや君主に仕えることはできません。ただ、その綬は頂戴いたしましょう」

綬とは官職のしるしとして帯びる印鑑のひもについた飾りで、戦時にあって臨時応変、旗の代用にもした。密使がたずさえていたのは、百家の長の綬であった。巾は三尺である。

綬を受取った夫差は、家臣にむかって、「わしが死んだあと、顔にこの綬をかけてくれ。あの世へ行って、伍子胥に会わせる顔がないからのう」

と言った。

夫差は自刃して果て、呉は滅びた。

ときに周の元王3年(前473)であった。

 
 宿敵の呉を滅ぼしたあと、越は苦労の時代を終え、これから快楽の時代を迎える。

「王もこれまでの王とは違うようになるぞ」

范蠡はそう予見した。

「長居は無用だな。」

彼はそうひとりごとを呟き、身を退くことを考えた。

呉の滅亡のとき、彼はひそかに西施を救い出して、我が家に隠していた。その西施を范蠡は愛した。だが、彼女は、「あたしは越の国では暮らせませぬ。敵国の呉王に寵愛された女よと、ひとに指さされます。あたしが越のためにわが身をささげたことは、范蠡さま、あなたお一人だけがご存知でございます。誰もわかってくれません」

と、泣きつづけた。

「よし、ではこの越を出よう」

范蠡は西施を連れて、海路、斉へ行った。

彼は斉から越の大臣種に手紙を送り、

「鳥がいなくなれば、良い弓でもしまわれます。兎が死に絶えると、猟犬も煮られて食われるものです。越王の人相は、頸が長く、口は鳥のようにとがっていますが、このような人物は、苦しみを共にすることはできるが、楽しみを共にすることはできません。あなたはどうして越王から去らないのですか」と忠告した。

 はたして越王勾践は、種を疑って自殺を命じた。

 

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