2013年7月23日火曜日

八重の家族

 八重の父・山本権八(松重豊)は会津若松城の城外の戦闘で討ち死。
母・佐久、姪・峰は、八重とともに京都府の顧問をやっていた覚馬を頼って1871年京都にやってきました。ここで、八重は新島襄と運命的な出会いをします。1875年襄と婚約しました。襄の本名は、七五三太(しめた)といいます。佐久は京都で5年間寮の舎監をつとめました。“この母あって、この子、八重あり”といわれたようです。
 

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