2013年7月22日月曜日

山本覚馬(西島秀俊)(2)

  覚馬は維新後に購入していた旧薩摩藩二本松藩邸の敷地(6000坪)を学校用地として新島に譲渡、次いで新島との連名で「私学開業願」を文部省に出願、これが認可されました。この校地は、やがて設立された同志社英学校からその後身である同志社大学に継承され、現在の今出川キャンパスとなっています(なお、「同志社」は覚馬の命名といわれます)。明治18年(1885年)、京都商工会議所会長に就任しましたが、明治23年(1890年)新島が他界しました。覚馬は同志社臨時総長として、同志社の発展に尽力します。明治25年(189264歳で没。

 

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