2014年8月29日金曜日

「十八史略(20)―鮑叔牙と管仲⑨」

 無知の天下は、数ヶ月しかもたなかった。無知の即位は紀元前686年で、無知の死は翌年の春であった。無知も襄公に似て、感情の走るままに接してきたために多くの恨みに思う人を作ってきた。無知は雍林の住人に殺された。住人は無知が雍林に来たときにいとも簡単に殺した。

 糾も小白も管仲も鮑叔牙も無知をいかにして除くかを考えていたが、無知はあっさりと死んでしまった。こうなると糾と小白の後継者争いである。

 魯は自分の国に亡命し、自分の国の女が生んだ糾を応援する立場にあった。このため、糾と管仲に兵を貸し、斉に帰国の上、斉の国主にしようと考えた。糾か小白かどちらが先に斉の国都、臨湽に駆けつけるかである。魯は管仲に、糾を臨湽に急ぎ帰らせるとともに、小白の帰国を妨害することを命じた。

 管仲は地理にも詳しく、莒から斉への道を間道にいたるまで熟知していた。管仲は小白がとるであろう道に待ち伏せをした。案の定、小白一行は狙いをつけた道を歩いてきた。

仕損じがあってはならない。管仲は自ら弓を引き絞った。矢には、猛毒が塗られている。わずかな傷でもその毒は全身にまわり、確実に死に至らしめる。小白に狙いをつけた。矢はまっすぐに小白を目がけて飛んだ。

矢は間違いなく小白の腹部に刺さった。馬に乗っていた小白は、「うおーっ」という呻き声をあげて、ドドーッと馬から落ちた。

小白の家来たちが、駆け寄ってきた。嗚咽の声に号泣も混じった。

小白の刺さった矢は、帯の留め金を固定する厚い革に突き立っていた。とっさに小白は死んだ真似をした。

「すぐに棺を用意しろ」と、小さな声で言い、棺が届くと、これに納まり、斉の臨湽へと急いだ。

一方、管仲は自分で矢を射、小白が落馬し、棺に納まったところまで確認した。これが、ひとがやったことなら信用できないが、自らやったことである。管仲は意気揚々と臨湽への道を6日もかけて歩いた。たしかに気が緩んでいた。

 

 

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