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呂尚 |
「父死して葬らず、ここに干矛に及ぶ。孝というべけんや。臣を以て君を弑す。仁というべけんや」と言って武王を諌めた。
武王の家来たちは、ふたりをつかまえて、殺そうとしたが、そのときに
「待てえ!斬ってはならぬ。その者たちは義人であるぞ」と一喝して止めるひとがいた。
これが、軍師の太公望だった。文王と太公望の出会いは、太公望が貧乏で年もとり、渭水で魚釣りをしているところへ、文王が通りかかった。文王は狩猟の帰りだったが、朝、占いをしたところ、今日の収穫は猛獣でなく、覇王の補佐をする人物に出会うということであった。
文王は、「この人であったか」とすぐに軍師として召抱えた。
太公望は、本名は呂尚というのに、なぜ太公望というかといえば、文王の祖父(太公)は、いずれ聖人が周に来て周を盛んにすると予言しており、その太公が待ち望んだ人物ということで、太公望といわれるようになった。後世、太公望は釣り師の意味に使われている。
この時、武王は軍を孟津に進め、諸侯800人と会したが、武王は太公望に
「殷を倒して、周の天下にするに成功の勝算はどの程度であろうか」と聞いたところ、
「十のうち八」と太公望は答えた。
すると、武王は即座に「兵を引く」と命令を下した。
武王は「成功の公算は高いがそれでも二割の失敗の危険性がある。紂王の暴虐がこのまま続くと三年以内には、成功の確率は100%になるだろう。それまで待つ」と言った
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