2014年8月21日木曜日

「十八史略(14)―鮑叔牙と管仲③」

管仲像
 糾の守役が高齢で引退を申し出たときに、鮑叔牙は頼まれて後任者を探した。結局、鮑叔牙の幼馴染の管仲を推薦した。

管仲は糾の守役に徹した。糾もすばらしい才能を持った若者らしい。

管仲は鮑叔牙に
「斉の国は太子の諸児ではもたないが、糾か小白のどちらかが国主になるようにお互いに補佐しよう。どちらが国主になっても助け合おうではないか」と言い、強く手を握った。

 国主の僖(き)公が死に、太子の諸児が斉の国主となったのは、紀元前697年であった。これが襄公であった。

襄公が立って4年、魯に嫁いだ文姜が夫と一緒に斉に里帰りした。斉を出てから15年がたっていた。襄公は欲望を抑えられなかった。15年も会っていないので、想いは一層募っていた。襄公と桓公夫人の文姜は、愛し合った。魯の桓公はさすがに気付いた。

桓公は烈火のごとく怒った。

「犬にも劣るやつめ!」と、妻を足蹴にした。

文姜は襄公のところに逃げ帰って

「お兄様、助けてください。文姜は殺されます」

「殺される?それなら、こちらから殺してやろう」

と、こどもの中で力自慢の彭生に魯の桓公を殺すように命じた。

彭生は人間を殺すことにかけては、天才的であった。傷もつけずに桓公のあばら骨をへし折って殺した。

 

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