春秋時代は諸侯が諸侯連盟のリーダー、すなわち覇者になることをめざして争った。戦国時代の諸侯は、盟主ではなく王者にならんとして戦った。戦国時代は、春秋時代のように生易しいものではなく、食うか食われるかの熾烈なものであった。まさに弱肉強食の時代であった。
周が西の犬戎に追われて洛陽に遷都したのが紀元前770年。晋が事実上、三国に分立した紀元前405年頃までを春秋時代と呼ぶ。この間に有力な覇者が出ている。覇者の第1号は、斉(現在の山東省)の桓公である。
桓公は太子ではなかった。位を継ぐ太子は、桓公の兄の諸児(しょげい)であった。桓公は名を小白(しょうはく)といった。別に糾(きゅう)という兄がいた。ほかに文姜(ぶんきょう)という姉がいた。文姜は魯国の主の妻となった。
少年時代、小白は、守役の鮑叔牙に、
「わたしはこの国の主にならねばならぬ」と言った。
鮑叔牙は、蒼い顔をして慌てて、小白の口を手で押さえようとした。
小白は、鮑叔牙の手を逃れて、
「心配するな。お前以外には言わない」
「それにしても、なぜそういうことを言うのですか」
と聞いたが、小白は言わなかった。鮑叔牙もそれ以上聞かなかった。
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