2014年8月7日木曜日

「十八史略(4)―神話時代の羿(げい)(4)」

 ところが、月で休んでいると嫦娥は、自分のからだの異常に気付きました。だんだん背が低くなり、腹がせり出し、腰が横に膨らんでいきました。上と下から圧されて、ひしゃげる感じです。やがて、首は肩の中に埋没し、口は左右に裂けてしまいました。皮膚の色も黒ずみ、大きなぶつぶつが出来て来ました。

「きゃー」と悲鳴をあげたつもりが、鈍い、潰れたような音でしかありませんでした。一匹の醜い蝦蟇になっていたのです。

 一方、夫の羿は、天に昇れるどころか、不死さえ叶えられませんでした。

 ここに逢蒙という男が現れます。かれは、羿の家来でもあり、弓の弟子でもありました。逢蒙は弓の腕も上達し、羿さえいなければ、天下無双というところまで来ました。そこで、羿を殺そうという気になりました。しかし、得意の弓では殺せずに桃の木の棍棒で殴って殺しました。

  このことを諺では、「飼い犬に手を噛まれる」という具合に用いられるのでしょうが、本当の意味はもっと深刻であると言っています。

あらゆるわざは、師のライバルは弟子であり、油断をすればいつとって代わられるか分らないというもので、弟子にとっては、師は打倒すべき最大の目標であるわけです。

 孟子はこの物語に厳しい評論を加えています。

「師を倒そうとしている人間を弟子にしたのだから、羿にも落ち度がないとは言えない」

これによく似たことがサラリーマンの世界でもあります。特にNo.2を絶対に作らない人がいます。本来の組織論からいえば、常に代わりを作っておくべきですが、そうすると、いつでも替られてしまうということで、自分が会社を辞めるまで後継者を育てない人がいます。

 

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