2013年10月16日水曜日

朝鮮戦争における日本の貢献

 朝鮮戦争に赴き、そして戦禍に倒れた日本人たちがいます。ほとんど知られていませんが、日本から特別掃海隊が米軍の命令によって出動し、元山や釜山など各所で機雷の除去作業を行っていました。漁船などの粗末な木造船で、日本海の荒波にもまれながら、なんとかたどり着き、米軍とともに作業を行ったのです。

 その際、触雷して1人の青年が殉職しています。この特別掃海隊は海上保安庁所属でしたが、ほとんどが海軍出身者であったといいます。彼らにとっては戦後の日本近海の航路啓開(=機雷掃海など)に引き続いての任務であり、命懸けの戦いは終わっていなかったわけです。

 朝鮮戦争停戦から60周年となった今年の7月末に同HP上で公表された「朝鮮戦争と日本」では数々の事実が明らかにされています。

 在日米軍兵士などを運ぶ海上輸送でも船舶やその乗員には日本人が多数含まれており輸送船が触雷し日本人船員22人が死亡するなど、朝鮮戦争勃発から半年間で事故や疾病などで亡くなった人は56人を数えるといいます。当時の雇用形態もまちまちであり、全容解明は困難なようです。

 このように日本は、朝鮮戦争において在韓国連軍の兵站基地として多大な後方支援をし、また多くの犠牲者も出していますが、その貢献は認められていないように思います。

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