2012年12月14日金曜日

中国の近代史に影響を与えた6人の日本人(1)

以前に、中国の近代史に影響を与えた世界の50人を中国の新聞で発表していました。この中に日本人が6人入っています。世界の50人には、スターリン、レーニンなどは、当然として、アメリカ人で、カーネルサンダース、アインシュタイン(国籍はドイツ)、ニクソン、ロックフェラー、アルビン・トフラー、スピルバーグ、ビルゲイツ、マイケル・ジョーダンまでが入っており、中国人が結構アメリカ人が好きなことが分ります。50人の中には、北朝鮮の金日成も入っています。
それでは、日本人6人が、誰で、どう紹介されているか、書かれているとおりに述べます。

1.伊藤博文:(1841-1909
日本の官僚政治家。1894年伊藤内閣は、朝鮮と中国に対して、日清戦争を起こし、18954月に日本は清国政府と「馬関条約」を締結した。
伊藤は日本の明治維新でよく知られている人物であり、中国の李鴻章の地位と相当するが、政治的な成果は李鴻章を遥かに超えている。1894年日本が日清戦争を起こした当時、伊藤博文は日本の首相に就任しており、日本政府の重大な決定にはすべて参加していた。日清戦争は、実は日中両国の西洋化運動の検証でもあり、結果は日本の大勝利となり、中国は惨敗した。
1895年春、日本の談判チームの代表である伊藤博文は、清国政府の李鴻章と対面した時に「私は、貴国に改革の必要性を申し上げた。それでなければ、我が国が貴国を追い越すでしょう。現在の結果を見てどう思いますか」と嘲弄した。伊藤博文は談判での功労で侯爵に昇進した。伊藤博文は日本では一等の功臣であるが、中国にとっては凶悪な敵である。

2.岡村寧次:(1884-1966
日本の中国派遣軍の総大将である。中国侵略戦争の指揮を執り、中国国民に巨大な災難を与えた。岡村寧次が、中国軍務に関与したのは早い時期からである。元北洋軍閥孫伝芳の軍事顧問を務めたこともあり、戦争では燃やし尽くし、殺し尽くし、奪い尽くしの「三光」政策を行った。中国が戦争に勝利した時には、日本政府を代表して戦争降伏文書にサインをした。戦後、岡村寧次は極東国際軍事会議でA級戦犯と言い渡された。しかし、中国上海軍事会議の審判では、国民党政府が共産党に対抗するため、「停戦」、「捕虜の返還」に功があったと理由付け、無罪で釈放した。その裏には、岡村寧次が国民党に積極的に協力し、共産党に対抗するためのアドバイスを行っていたことがある。著書は「毛沢東の兵法および対策法」、「包囲攻撃と援軍に打撃は、共産党軍の作戦の特徴」などがある。(注:岡村は、99日、南京にて、蒋介石との降伏文書にサインした。)

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