2012年7月13日金曜日

ジョン・ウェインはなぜ死んだか(16)

 広瀬隆氏の標題の本から紹介しています。
ネバダでおこなわれた大気中の核実験は、きわめて広い範囲に死の灰を降らせました。
原爆が爆発によって、発ガン性を持った死の灰が降ることを、1950年代のはじめに当局は知っていました。死の灰を浴びると、人間の体にさまざまの障害が出るという危険性は、すでに数多くの調査研究によって明らかにされていました。ニューメキシコ州で、広島で、長崎で、ビキニで、人類のいままでで知らなかった死の灰が与える恐ろしい影響が克明に観察され、それが放射能という単位で測定される“特殊なエレルギー”によるものであることが、すでに突きとめられていました。
そこで軍部、原子力エネルギー委員会、大統領たちは、人口が密集している地域に死の灰が降らないように配慮しました。カリフォルニア州に向かって風が吹いている時には、一度たりとも実験をおこないませんでした。

ラス・ヴェガスは、今でこそギャンブルの町として悪名を轟かせていますが、もともとはモルモン教徒が布教センターとして設立した最も神聖な町でした。この聖地が俗悪な賭博場の町に変わったために死の灰を受けなくなったのは、ソドムとゴモラが繁栄する現代に、いかにも象徴的な史実であるといえます。

ネバダ州の西側カリフォルニアと南側ラス・ヴェガスが制限されると、逆に開放されるのは、北東にひろがる扇状の部分でしかありません。北東に向かって風が吹いている時をねらって原爆に点火することを意味しました。その結果、ネバダ州およびアリゾナ州の一部と、ユタ州全土を含む地域に集中して、死の灰が降り続けました。セント・ジョージは、この降灰地帯のなかにあって、核実験場にきわめて近い位置にありました。

セント・ジョージで生活していたモルモン教徒は、モルモットにされたのでした。当局はこの危険性について、「死の灰は、“ほとんど人の住まない土地”に降るので安全だ」と説明していました。

安全な実験場は、全米のどこにもない。しかし人口の少ない所を選べば、一定の予測された危険性にもとづいて実験が可能でした。アラスカと、××××と、××××が適している。ラス・ヴェガス地区は、人口が少ないのでよい。

死の灰の降り方には、ひとつの特徴がありました。山間部には、特に多く降りつもりました。ユタ大学の調査では、ロッキー山脈の山頂のほうが、麓よりすっと多くの死の灰を検出していました。10倍から40倍という高い数値でした。死の灰には、雪と同じ性質のあることが、この特徴から推測されます。

キノコ雲として空高く舞い上がった死の灰は、雪にまぎれて山間部へ降り注ぎました。
「子供は雪が好きで、そのなかで転げまわり、雪を食べていました」

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