2012年6月19日火曜日

内なる最貧困国と先進国_消費社会の光と影

中国の代表的な内陸都市の四川省成都市で、「1100万元(1300万円)を越す高級時計が飛ぶように売れている。売上高で中国の首位を競っている」
と、仏カルティエの専門店の繁盛ぶりを、市の商工関係者は明かした。
中間所得層も育ち、イトーヨーカ堂の成都双楠店の年商260億円は、日本を含む約190店舗でトップである。ヨーカ堂中国総代表の三枝富博氏(62)は、「成都の消費者は、中国で最も新しい物への好奇心が強い」と新たな商機へ意気盛んでした。
四川省など内陸部では、政府が2000年に定めた「西部大開発」計画でインフラ整備が進み、これに08年の四川大地震の復興投資17千億元(22兆1千億円)が加わりました。ブランド店の特意先名簿には復興にかかわった国有企業、軍幹部の名がずらりと並ぶといいます。並行して、沿岸部の人件費上昇を嫌った台湾メーカーのIT(情報技術)機器工場などが相次ぎ進出して来ました。経済成長の波が内陸にも届き、消費に花が咲いています。

四川省では1970年代、省トップの趙紫陽が60年前後の失政で餓死者まで出した経済の再建に奔走しました。78年からの改革開放に先駆け、生産を増やせば農工業者の懐が潤う仕組みを導入し、「ご飯を食いたければ、紫陽を探せ(中国語で找紫陽)」という流行語を生みました。
趙は89年の天安門事件で総書記から失脚し、05年に死去しました。今の四川省の食べられる姿には驚くでしょう。しかし、高度成長を導いた一党支配では、貧富の差が広がっています。

月給は3分の1が家賃に消える。生活は苦しいが、治安は悪くない・飲食店で働く河南省出身の張慶齢(仮名25)は北京でのくらしぶりを語ります。張が住むなのは窓のない地下室。米ソとの核戦争を想定して70年代に建てた古いアパートの地下2階にあります。
分厚い防空扉で守られた、広さ4平方㍍ほどの小部屋が監獄にように並んでいます。暗い地下に住む彼らは「鼠族」と呼ばれます。鼠族の多くは農村から職を求めて上京したものの、1000(13000)ほどの月収しか得られない労働者ったいです。

高級物件は家賃が米ニューヨーク並みに上っています。しかし、そういうマンションに住めるはずもなく、家賃350元の地下室で我慢を続けています。北京とその近郊に住む鼠族は、現在、数十万人といわれます。

「性能も良く、高くない。買うならカードで一括払いだ」。
同じ北京で4月末に開かれたモーターショーの会場では、大学院生(24)が伊ランボルギーニ製の超高級車を購入しようとしていました。高級ワインなどを扱う小売り大手の経営者の子息だといいます。
中国は1人当たり国内総生産(GDP)4500㌦を超え、モータリゼーションの最盛期です。日本の70年代の半ばに当たります。当時の日本では、ランボルギーニを買う人は珍しかったのですが、中国では11年に342台が売れ、世界一の市場となっています。
鼠族と高級車を買う金持ちの2代目は、ともに急成長の落とし子です。中国は社会主義の看板を下していないが、内部は最貧困国と先進国が混在していると、日経新聞は報じています。

2012年6月18日月曜日

市民に芽生える権利意識

「一庶民にすぎない私が国家転覆を企てたとして、朝から晩まで強制労働させられた。言論の自由のなさを痛感した」と、重慶市林業局の職員・方洪さん(45)58日、中級人民法院(地裁に相当)に名誉回復を訴えて、受理されました。強制労働で思想教育する「労働改造所」に収容され、出所したばかりでした

 方氏は、422日朝、当時のトップの薄熙来(62)の失政について、中国で4億人が登録するミニブログ「騰訊微博」に書き込みました。薄が指揮した暴力団の一掃運動が、権利の温床になっていると隠語で皮肉りました。
その夜、地元の公安局に呼ばれ、命令の通りに書き込みを削除しました。ところが翌日、再出頭を拒むと、警官ら20人以上が自宅を囲み、24日夜には改造所に送られたといいます。

薄は大衆受けする政治運動をテコに、次期党大会で最高指導部入りする野心が満々でした。方氏の事件は、薄がネット世論に敏感だったことの証しでもあります。
薄が失脚し、方氏には名誉回復の可能性も出て来ましたが、「ネット投稿で改造所に送るのは法律違反。中国全土に広がる深刻な問題だ」
と方氏を支援する人権派弁護士、博志強氏(47)は指摘しています。
中国の共産党・政府はインタネットの登場以来、その管理に苦心してきました。「金盾計画」と呼ぶ検閲システムを1999年に稼働させ、「六・四(天安門)事件」などの「NGワード」を含むサイドは閲覧できないようにしてきました。

ところが、中国でもスマートフォンの利用者が約2億人まで急増。市民は手軽に、検閲しにくい隠語や画像で情報を交換しています。IT(情報技術)の進歩が、管理のハードルを上げたわけです。
薄の失脚の発表も、ネットを意識した情報戦の様相をみせていました。
「薄は処分される。担当の組織で動揺を広げないように」。
重慶市政府は410日午後3時すぎ、局長級幹部100人以上を緊急招集。官営メデイアによる夜11時の公式発表を前に情報を開示し、衝撃を柔らげる狙いでした。

会議では情報が外に漏れないように、録音・録画を禁じました。「薄の妻、谷開来は英国人の殺害容疑」との情報がミニブログへ流れ出し、まるで実況中継のようになりました。
中国でも、ミニブログの情報は玉石混合です。319日には、「北京市内を軍事車両が走り、発砲音が聞こえた」「薄を擁護する周永康・党政治局常務委員がクーデターの首謀者だ」との情報が流れましたが、結局はデマでした。
慌てた当局は新浪微博、騰訊微博のミニブログ大手2社を処分しました。4月上旬にかけて一部機能の一時停止を命じ、デマ流布にかかわった6人を拘束しました。
ただ、豊かになった市民が権利意識に目覚め、ネットで情報交換すること自体は止められません。最近は当局がミニブログで自らに有利な情報を流し、世論操作を試みる例も増えました。4日で天安門事件から23年を迎える中国では、ネット大衆と当局の神経戦が日々、続いています。