2009年3月11日水曜日

ゴルフ場

 写真は、空からのゴルフ場の写真です。この話題は、ゴルフ狂がわたしの友人にも多いので、取り上げようと思って取り上げずに来ました。山肌を怪獣が9本の指で引っ掻いたようにも見えます。夏は、まだ緑があって、いくらか騙せますが、秋から冬は写真のように無残な姿を露呈します。ゴルフやっている時には、分からないのでしょうが、相当に木を切り、芝生に替えています。平日は、環境問題を議論する人が、休日はこのように木々を切り倒されたゴルフ場でのゴルフ三昧です。どうもこのような矛盾が多いようです。わたしは、大阪の伊丹空港と羽田の間をよく飛びますが、多くの山肌は、ゴルフ場に変わっています。一部は住宅地に開発されたところもあります。そういえば、小池さんが環境大臣のときにクール・ビズと言いながら、森喜朗氏らとゴルフをしていたように思います。
 これまでのゴルフ場は、仕方がないとして、これからは増やしてほしくないものです。

2009年3月10日火曜日

飛鳥浄御原宮

 今、奈良県立橿原考古学研究所の手によって、飛鳥浄御原宮の北限を求めて発掘調査が行われています。飛鳥浄御原宮は、天武天皇(在位673~686年)が壬申の乱に勝利して即位した場所です。このたび、北限の石神遺跡がかなり丁寧に発掘されました。飛鳥浄御原宮の大極殿は、宮の南に位置し、今の明日香村役場の東にあったと推定され、正殿などは、のちの平城京などと異なり、北に延びていたとされます。これまでは、大型建物跡があったところまでが、北限と考えられていました。それが、さらに北600mにある石神遺跡の発掘があり、ここまで当時、役所が延びていたとされますと、南北1.4kmにも及んでいた可能性が出て来ました。およそ倍の広さになります。石神遺跡の建物は、屋根の一部を瓦をふいた豪壮な門の構造で、諸国の使節をもてなした迎賓館ともいわれています。使節をここで迎え、大極殿まで長い距離を歩かせ、日本の都を誇らしげに見せたことでしょう。
 明日香にいかれますと、飛鳥時代がそのまま残っているように錯覚します。横を車が、不必要と思われるスピードで走り抜け、現実に引き戻されます。この大極殿のあったとされる場所から、東南の方向に石舞台があります。蘇我馬子の墓とされます。天武天皇によって大和朝廷が確立します。日本の五大改革の第1回目です。春、明日香を歩かれると、日本のふるさとを感じます。日本の歴史に思いを馳せるのも現代人には大事なことかも分かりません。