2014年8月4日月曜日

「十八史略(1)―神話時代の羿(げい)(1)」

 久しぶりに中国の歴史を読んでみようと陳舜臣の「小説十八史略」を手に取りました。ひとによっては、「十八史略」と「小説十八史略」とは別物と言う人もいますが、「十八史略」を中国語で読む
気にはなりません。中国の正史は、日本史の中に出て来るだけで、資料として読んでも、読み物として読んだことはありません。次の十八巻が中国の正史です。この中で、史記、漢書、後漢書、三国志などは、見たことがあるでしょう。

1.『史記- 司馬遷

2.『漢書- 班固

3.後漢書- 范曄

4.『三国志- 陳寿

5.『晋書- 房玄齢

6.『宋書- 沈約

7.『南斉書- 蕭子顕

8.『梁書- 姚思廉

9.『陳書- 姚思廉

10.『魏書- 魏収

11.『北斉書- 李百薬

12.『後周書- 崔仁師

13.『隋書- 魏徴長孫無忌

14.『南史- 李延寿

15.『北史- 李延寿

16.『新唐書- 欧陽脩宋祁

17.『新五代史- 欧陽脩

18.「宋鑑」(以下の2書をひとつと数える)

    • 続宋編年資治通鑑- 李熹
    • 続宋中興編年資治通鑑- 劉時挙

 中国人の史観は、「人間。ただ人間。ひたすら人間を追究する」ためであったため神話がほとんどありません。思想界を牛耳った孔子などが、「怪力乱神を語らず」という態度であったためとも語られています。

 今回、取り上げた羿は、弓の名人で、非常に勇猛であったとされています。それが、ある日、天帝に呼ばれて、下界に派遣されました。天帝には、十人の子がいました。天帝の子は、みんな太陽です。母親は、六頭の竜が牽く車に、毎日一人ずつわが子を乗せて走らせていました。順番が決まっていて、十の太陽は十日に1日だけ天空を駆けます。人間の世界から見ると太陽はひとつだけですが、実は順番制だったのです。

 

2014年8月1日金曜日

「死者の網膜犯人像(4)」

 「係長さん、係の人が主人に注射されていましたが、あれはどういう意味でしょうか」

「あの注射は、ご主人がいわゆる“死”の直前に見られた場面が網膜に残っているのを固めるためにしたのです。死んでも網膜の映像は科学的に再現できるのです。ですから、犯人の場合は、犯人かその関係者の顔が再現で浮かび上がってくるはずです」

  山岸重治の解剖は終わり、それより早く網膜映像の検出結果が庄原係長にもたらされた。みせられたコンピュータ形成の映像は、リスのように可愛い眼をした犬の顔だった。

するとあの愛犬は好江が夫の死体の傍から離れた間に来たのだ。蒲団の裾にいた犬は、その間に主人の枕元に来て坐り、じっとその顔をのぞいていたのだろう。

  翌日の昼すぎ、外房州の海から互いの身体をロープで縛った男女の溺死体が浮かんだ。山岸好江と先妻の子安夫であった。好江と七つ違いである。

「網膜残像」の研究は、続けられているのだろうか。