幸い圉は父の臨終に間に合い、即位することができた。晋の懐公であった。かれの地位は、父の恵公と同じように不安定であった。
秦の穆公は、断りもせずに秦から出奔した圉に腹を立てていた。
「親が親なら、子も子だ」
この小癪な小倅に対し、目にものをみせてくれる方法を穆公は知っていた。
穆公は亡命中の重耳に兵を貸した。
かくして、重耳は19年ぶりに帰国し、懐公を追って、位に即いた。これが、覇者第二号の晋の文公であった。若い懐公は、高梁へ逃げたが、そこで殺された。
最後の勝利の栄冠は「逃げの重耳」の上に輝いた。
重耳はそれまでにも何度も帰国する機会はあったが、部下たちの意見を聞いて帰国を思いとどまった。また、夷吾が即位しても何とも思わなかった。夷吾は重耳のことが気になってたまらず、即位して7年目に勃鞮ら、腕の立つ剣士を送って暗殺しようとした。
重耳はそのことを知ると住み慣れた狄の国から逃げ出した。
このとき、狄で娶った妻に
「25年待ってくれ。25年経っても帰らなければ、再婚してもいい」と言った。
「25年???」と判断がつかなかったが、しばらくして吹き出した。
「25年も経てば、家の墓の柏も大きくなっているでしょう。ともかく、お待ちします」
と、承諾してくれた。
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