申生の側近たちは
「これは驪姫が企んだことに違いありません。堂々と申し出て黒白を明確にしましょう」と言った。
優しい申生は
「父上は高齢ですべて驪姫なしでは、生きてゆけぬ。もし驪姫の罪を明らかにすれば、父上から驪姫を取り上げねばならない。そうなれば、父上はどういう生活をなされるか。ここで驪姫と争っては親不孝になる」と言った。
側近が、それではと亡命を勧めても
「亡命をしたところで、誰がわたしの言うことを聞いてくれよう。わたしは死ぬしかない」と答えてその年の12月に曲沃で自殺した。これは、驪姫の予想外の結果であったが、あとのふたりの兄弟も潰すべく、献公に対して、
「申生が殿を毒殺しようとした件には、重耳、夷吾の二公子も結託してのことです。直ちに処分をしてください」と巧みに献公に吹き込んだ。
「けしからぬ。直ちにひっとらえよ」と献公は怒鳴った。
これらのことは、二公子にも知らされた。
二公子は、それぞれの城に逃げた。重耳は蒲城に、夷吾は屈城へ。
献公はふたりの出奔を知って直ちに動員令を下し、追っ手をかけた。
このとき、ふたりの公子はまったく異なる対応をした。
夷吾は屈城に立て籠もり、徹底抗戦を図り、重耳は蒲城を抜け出すことを考えた。
献公が派遣した討伐軍から、宦官の勃鞮という者が降伏の使者として蒲城にやってきた。
勃鞮は、宝剣を重耳の前において、
「戦っても勝ち目はありません。太子申生にならって潔くこの剣で御自害ください」と説得した。重耳は、うなだれて、心身ともに疲れたと見せかけた。といいながら、勃鞮の様子を窺っていた。
「ご無念でございましょうが、君命ですぞ」と勃鞮は重苦しい声を発した。勃鞮もこういう役はいやである。公子が自決するところを正視できるものではない。目をそらした。この瞬間、重耳は俊敏に立ち上がり、一目散に駆け出した。
「しまった」と、勃鞮は前にあった宝剣を掴み、重耳を追った。重耳は庭を横切って逃げた。重耳はすでに43歳である。若い勃鞮に追いつかれ、あわやというときに垣を飛び越えた。勃鞮は宝剣を横に薙いだが、そこには重耳はいなかった。こうして、重耳は脱走に成功した。重耳ははるか母の実家のある狄に逃げ込んだ。勃鞮はこのときのことを忘れられずに、のちのちまでも暗殺者を重耳に送り続けることになる。
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