2012年5月3日木曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(12)

小出裕章
「俗に『熊取り六人衆』というらしい。
大阪の熊取にある京大原子炉試験所で小出を含む6人が助教(助手)などに据え置かれたまま、原発に反対する視点からの研究を続けてきた。

『枝野官房長官は直ちに影響はないというが、それは、あとあと影響があるということです』
『社会を変えていくのは数ではない、一人です』
という言葉を引いた。それは『二人です、三人です』と続くのだという。
小出は携帯電話を持たず、職場には自転車で通っているという。
『私の職場である京都大学原子炉実験所は京都にはなく、もうすぐ和歌山という大阪の南の端にあります。京大の施設がなぜ京都にないかと言えば、私の職場には原子炉があり、原子炉は都会に建てられないからです。そのため、私は今、大阪の郊外に住んで仕事をしています。大阪は日本一暑いと私は思っていますが、研究室でも家でもクーラーは使いません。TVも見ませんし、エレベーターやエスカレーターを使うこともしません』
すごい人たちがいたものです。東大は体制側につき、京大は、これを批判的に見るようです。いつの世も、不用意に体制側につくのではなく、冷静に分析する目が必要なことは、いつの時代も同じだと思います。日本は、ややもすれば、体制に流される感があり、この人たちのような冷静な目が必要に思います。

忌野清志郎
「アートの世界にも、原発は要らないねぇ、と訴える人たちがいた。たとえばミュージシャンの忌野清志郎ある。その他にも、いわゆる『反原発ソング』には、浜田省吾の「僕と彼女と週末に」や斉藤和義の『ずっとウソだった』などがある。
『サマータイム・ブルース』の替え歌で、『日本の原発は安全です』というのは根拠がねぇと反発した清志郎は、
原子力発電所がまだ増える
知らねぇ内に漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース
と現在を予想したように歌い、電力は余ってるから、もう要らねぇ、と主張した。

この替え歌を含む『COVERS』というアルバムが東芝EMIから発売される予定だったが、突如、中止される。レコーデイングまでされながらストップとなったのは、東芝EMIの親会社の東芝が原発産業であり、東電などの電力会社から見れば、出入りの商人に過ぎなかったからだった。
ただ、清志郎は反発のシンボルにされるのを嫌い、レッテル貼りからはスルリスルリと身をかわしつづけた。しかし、「放射能はいらねぇ、牛乳を飲みてえ」と歌ったソングル『ラヴ・ミーテンダー』も発売中止にして、『上記の作品は素晴らしすぎて発売できません』という広告を新聞に出した東芝EMIに対しては怒りの炎を燃やし、なぜだめなのか理由を言え、と食い下がった。

坂本龍一は清志郎を『ものすごくシャイな人』と言い、『シャイすぎて、こちらがどうやって話しかけていいかわかんない感じ』だったと評している。しかし、『歌ではこんな雄弁に』一億人の日本人が言えないことも言ったのだった。

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