2011年12月16日金曜日

佐野眞一の津波と原発(22)

 佐野氏は東北からの出稼ぎというと、どこかに故郷の香りをのせて、入る列車のなつかしさで始まる井沢八郎の「あぁ、上野駅」の世界ばかりを連想していました。つまり、東北からの出稼ぎは東京に働きにくるものだとばかり思っていたのです。

だが、それは福島で言えば、「中通り」を走る東北本線の世界であって、「浜通り」の常盤線ではなく、東京への出稼ぎはむしろ珍しく、山奥のダム工事などに働きに行く人が多かったわけです。

大熊、双葉は、着工から12年の歳月を経て、総発電出力4696000キロワットという世界屈指の原子力発電地域としてクローズアップされました。

このため、従来は福島県のチベットとして不毛の地とされていた当地方も急に活気を呈し、所得は倍増し、生活に潤いをもたらしたのです。原発建設に要する労働力は、いきおい地域の農家から求められ、いままでは出稼ぎ、二、三男対策などその就職先が問題となっていましたが、原発建設への雇用によって一挙に解消され、都市への流出はなくなり、逆にUターン現象が見られるようになりました。

東京から遠いこと、人口密集地域から離れていることが、原発の立地条件になっていることに注意しなければなりません。

「浜通り」の”原発銀座”地区を車で走って気がつくのは、何の変哲もない田園風景の中に突然、現れる町役場や体育館、公民館、図書館などの建設の立派さです。

それは文化とはほとんど縁がなさそうなこの地区に、原発を受け入れてくれたご褒美に、国から突如下賜された有難い文化的思し召しのように見えました。

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