2009年6月9日火曜日

阿修羅展

 東京国立博物館で、阿修羅展を見てきました。連日、非常に込んでいましたので、行くのをやめようかと思っていましたが、誘惑に負けて行って来ました。待つこと、約2時間半。疲れました。
この阿修羅像は、光明皇后が734年(天平6年)に母橘三千代の一周忌に立てた興福寺の西金堂の群像のひとつでした。何度かの火災にも奇跡的に焼失を免れました。これは、阿修羅像が、脱活乾漆造で重さが非常に軽かったこともあるでしょう。ひとりで楽々と持てるようです。
 阿修羅はもともと悪神でしたが、釈迦の教えで改心し、釈迦の弟子になりました。しかし、数々の悪行のせいか、眉をひそめて、苦悩の影を滲ませています。純真な少年のような容姿から、古来、多くの人に慕われてきました。
 この阿修羅展は、中金堂の再建の寄進を集めるのが目的でなかったかと思いますので、興福寺に通いなれたわたしには、阿修羅像の側面、背面から見ることだけが目的でした。テレビに踊らされたかも分かりません。テレビでは、にわか(?)専門家が右側面はどう、左側面はどうだとか。話していました。わたしは、仏像は正面から拝むのがすべてで、側面から見るのは、どうかと思っていました。仏師も正面の像の製作に集中しており、右側面、左側面には、それほど力を入れていないと思っていました。そして、この仮説の検証のために2時間半も待ったといえます。そして、どうであったか、わたしの仮説どおりでした。正面の像に比べ、右面、左面の作像はやや粗雑であったと思います。
 阿修羅像以外に展示された仏像もたいしたものでしたが、阿修羅像に関心を奪われ、気の毒でした。それでも、いつ見ても畏敬の念にとらわれます。奈良には、いい仏像がたくさんあります。興福寺のほかに東大寺の戒壇院、三月堂、新薬師寺、薬師寺、唐紹提寺、法隆寺、浄瑠璃寺、岩船寺、室生寺、当麻寺、聖林寺など。
今回の主催者にクレームをつけたいのは、照明です。あまりに光を当てすぎです。お堂にあるが如くに展示すべきです。すなわち、光は必要以上にいりません。阿修羅像も光の当て過ぎで、興福寺で見たのと別の像に見えました。乾漆像にこんなに光(熱)を与えてもいいのかしらと心配したほどです。
 それともう一つは、阿修羅像の前は、時計回りに回ってくださいということでしたが、身動きできないくらいぎっしりでした。その中で時計回りに回るのです。想像ください。苦痛以外のなにものでもありません。なぜ、阿修羅像の方を回さないのでしょう。それであれば、見学者は、動かずに阿修羅像を全方向見ることが出来ます。阿修羅像を回して、落としたら大変だと言うのでしょうが、ゆっくり回すのですから、その心配はありません。
 しかし、多くの人が興福寺に関心をもってもらって、非常によかったと思います。この企画は大成功だったでしょう。これを機会に奈良にも観光にたくさん来てほしいものです。関西地区で、奈良だけは、新型インフルエンザの感染者は一人も出ていません。修学旅行生が京都をタクシーで、降りもせずに回るくらいなら、奈良に変更すべきです。奈良公園では、鹿とも遊べます。修学旅行の中止で違約金を払うくらいなら、なぜ奈良に変更しないのでしょう。どうも奈良県の知事や市長は、PR下手です。

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