
しかし、この中国のPHSも2011年末で終了です。ユーザーの人たちが、北京の裁判所に訴えていますが、却下されています。日本発祥のPHSを中国で認めさせるように動けなかったのでしょうか、関係者の無為無策を嘆きます。9800万人までいった中国のPHSユーザーは、5000万人まで減ってしまいました。毎月毎月、大幅に減っています。反日が今よりも強かった時に日本のPHSを認めた中国人の懐の深さに敬意を払います。PHSは遅れた技術といわれながら、1億ちかいところまで増えたのです。なぜここまで増えたのか、受け入れられたのか、日本人は、よく考えないようです。井戸は、深く掘れば掘るほど、水は枯れにくいものです。最近の日本勢は何をしたのでしょう。そして、何をするのでしょう。出世、利益ばかりを追い求め、結局、すべてを流しているように思います。
わたしは、中国を理解するために、三国志、水滸伝から十八史略、近代中国史、春秋時代、戦国時代、英雄伝、孫子、孔子などを読みました。普通の中国人よりは、知識はあると思います。かれらの誇りとする人、書物などを読んで、共通の話題を持つことはビジネスに助かりました。かれらも日本を、日本のものを知ってくれるようになりました。これは、どの国と取引する場合も共通でしょう。
日本人も再度、真の意味の秀才、英傑をめざして、日本を再興してほしいものです。先生のひとりひとりが、吉田松陰をめざして、愛情深く、生徒と接し、教育に取り組めば、維新のときのような英雄がキラ星のごとく、出現するでしょう。後世に“平成の吉田松陰”と呼ばれるひとが、ひとりでもふたりでも出てほしいものです。
わたしたちの事務所は、小伝馬町にあります。吉田松陰が最期の時を迎えた終焉の地、小伝馬町牢屋敷があります。吉田松陰はここで命を落としました。その跡には、安っぽい看板があるのみです。この感性のなさには、悲しいばかりです。
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