
口分田をどこにくれるかという問題もあります。田令では、できるだけ、その百姓の家の近くに口分田を与えよ、となっていますが、725(神亀2)年には志摩国の百姓にたいする口分田を、隣国伊勢や、海のかなたの尾張国で班給している例もあります。
766(天平神護2)年ころ、越前国坂井郡の百姓たちのなかには、口分田と自宅との距離が直線距離で7~10キロにおよぶものが少なくなかったとあり、ひどいばあいには海を渡って敦賀郡に班給されていたものがあるといいます。当時の人も大変だったようです。口分田をもらうと租庸調を納めねばなりません。いつの世も最下層のひとたちにしわ寄せがいきます。
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