2010年11月22日月曜日

正倉院展(2)

 「献物帳」記載の品がそのまま現存しているわけではなく、武器類、薬物、書巻、楽器などは必要に応じて出蔵され、そのまま戻らなかった品も多くあります。刀剣類などは恵美押勝の乱の際に大量に持ち出され、「献物帳」記載の品とは別の刀剣が代わりに返納されたりしています。

 正倉院の三倉のなかでも特に北倉は、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を収めることから、早くから厳重な管理がなされていました。宝庫の扉の開封には勅使が立ち会うことが必要とされていました。なお「勅封」という言葉は、本来「天皇の署名入りの紙を鍵に巻きつけて施錠すること」を指します。

 奈良時代は、710年に都が藤原京から平城京に移ってから始まりますが、756年に聖武天皇が亡くなり、これを悲しんだ光明皇后が天皇の大切にしていた身の回りのものを大仏に納めました。
 さて、今回、目玉と思える宝物を紹介します。

 伎楽面・酔胡王

 縦37cn、横22.6cm、奥行29.4cmあり、当時の人は、実際にこの面を被って踊りました。

 古代中国の国の一つである呉が起源とされる仮面舞踏劇の伎楽で、酔った一団を率いる赤ら顔をした胡人(ペルシャなど西域諸国)の王の顔を表した面です。高い鼻や彫りの深い顔立ち、濃いひげにエキゾチックな西域の人々の特徴が見られます。

 伎楽は飛鳥時代、朝鮮半島・百済から伝わり、東大寺の大仏開眼会で奉納されました。笛やつづみの音に乗せ、酔胡王が酒宴を楽しむ場面が演じられたのでしょう(読売新聞の紹介より)。
 (明日に続く)

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