2014年7月29日火曜日

「死者の網膜犯人像(1)」

   松本清張の「草の径」の中に標記の話があります。

江戸川乱歩の随筆集「幻影城」のなかに「網膜残像」という項目があるらしいのです。「死の刹那に見た犯人の顔が、解剖すると網膜に残っていて、犯人推定の手掛かりになる。こいいう話は昔からあって、よく小説にも使われたが、科学的には否定されていたところ、最近は肯定するような研究も発表されるに至った」とあります。わたしは、寡聞にして知りません。ここで、乱歩が「最近」と書いているのは、1953年ころの欧米をさしていると松本は言います。随分、古い話です。

「人間の眼球はちょうど写真機のようなもので、死は直ちにそのレンズの視力を失わせてしまった。だから眼球はシャッターを閉じられた写真機のように、二度と光はその中へ入れない。だから死の直前に映ったものこそ興味あるものと云うことができる」と書いています。

人間は死とともにその眼球に映った像は瞬間にして消失します。それを検出するなどとは、とうていでき得るものではない、とだれもが考えます。

さらに、松本は、「しかし、もしかりに、死者の網膜に最後の残った像が検出できるとなれば、殺人犯罪捜査の上でははかりしれない利益をもたらすにちがいない。殺人罪で処刑された中に無実の者がいるのではないか、と疑問を多くの人が持つ」と続けます。

被害者の網膜映像がその「死」から一定時間機能し続けていれば、最後の場面に登場している人物こそ犯人または犯行に関連のある重要人物となります。その映像を検出し、記録することができるなら、直ちに犯人を正確に指摘することができるでしょう。

 かりにこの方法が開発されると、従来のように多くの捜査員を投入して広範な地域にわたって聞き込みに走り回らせるとか、目撃者の話をもとにして似顔絵を作成して公開捜査をするとかの手間と費用はいらなくなると書きます。

 目撃者の話にしても、どこまで真実を伝えているかはわかりません。瞬間に目撃した人の眼が「不正確」なのは数々の実験が証明していると続けます。

 眼球医学が発達して死者の網膜映像を再現する高度技術が開発されて、法医学に寄与するとなれば、どんなに画期的なことかわからない。人間の心臓の動きが停止し、「死」の状態になった後も生体反応があるかぎり、約60分間、網膜の映像は依然として機能しつづけるといいます。そういう研究はなされていないだろうか。松本は「死者の網膜犯人像」の中で、このことを研究している研究者がいるらしいと自問自答しています。

 そして、次の短編小説を遺しています。

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