2012年7月4日水曜日

ジョン・ウェインはなぜ死んだか(8)

  最初の証人として証言台に立った農夫と主婦が、おそろしい被害の模様を語りはじめました。この女性、マーサ・レアードは子供を白血病で失うまでを語りました。
政府の弁護士は、その一部始終に耳を傾けたあと、
「あり得ないことです。あのような微量の放射線で人が死ぬはずはありません」
と、はっきり因果関係を否定しました。

マーロ・ストーンズは、「私は一人息子を癌で失いました。どれだけ多くの人間がこの世に居ても、私にとって、彼以上の存在を考えられません。1968年だったが、息子の脚に腫痬が見つかりました。15歳の若者に、“脚を切断しなければならない”と言うのは辛いことでした。しかし、その脚を切断しました。
ある晩、彼を風呂に入れてやったが、立ち上がったときに、残りの脚が折れてしまいました。別の腫痬ができていたのです。彼は死にました」

裁判所では、原告がそれを語りはじめるや、アメリカ政府は、この一切の訴えを否定しました。
実は、ポール・クーパーに代表される人々がこの問題に取り込んだとき知ったのは、危険はすべて予知され、大被害が発生していると知りながら、核実験が続けられてきた、という慄然とすべき事実でした。

セント・ジョージの住民は、殺されたのも同然です。
以下は、みな、公式の文書であり、公式のアナウンスです。
被ばく量は、きわめて低く、作戦に参加した兵士でさえ、レントゲン写真より少ない量しか被ばくしていませんーー国防省ウイリアム・H・タフト四世
★埃さえかぶらなければ、放射能を受けることはありませんーー陸軍当局
安全を守るために、あらゆる対策がとられているので大丈夫ですーー国防省ロバート・R・コンロー
★これからおこなわれる実験は、すべての人類にとって利益となるものです。多少の危険があるからと言って引き返すようなことはできませんーー国防省
★まったく危険はありません。まったく危険はありませんーーAEC(原子力エネルギー委員会)ラジオ放送
★核実験の恐怖は、共産党によるデッチあげであるということが、充分に考えられますーーネバダ州上院議員ジョージ・マローン
★核戦争に比べれば、核実験によって起る危険性は、小さな犠牲にすぎないーートルーマン大統領

かくしてB期間終了の前年(ポール・クーパーが被ばくする直前、19573)には、つぎのような内容のパンフレットが住民に配布されました。

フィルム・バッジ、コンピューター、モニタリング・ポストなど、さまざまの精密な機器を使って、絶えず放射能の監視を行っていますので安全です。

測定の結果、近くで生活する住民が受ける放射能は、人体に対してまったく影響のないことが明らかにされてきました。
年間の最高被ばく量は、過去6年間を調べたところ、つぎの通りでした。
セント・ジョージ 500ミリレム
シーダー・シティー 70ミリレム
(注――500ミリレムとは、現在の日本での安全基準と同じである。1シーベルト=100レム)
これらの数値は、私たちが自然から受ける放射能100ミリレムと比べて、ほどんど変わらない安全な量です。また、医療に使われている放射能より、ずっと低いものです。

2012年7月3日火曜日

ジョン・ウェインはなぜ死んだか(7)

広瀬隆氏の標題の本を参照ください。
ネバダ、ユタ、アリゾナの3州では、薄気味の悪い事件が、ここかしこで風の便りに乗って聞かれる時期に突入していました。
“ 汚れた雲が通ったあと、髪がごっそり抜け落ちた”
“ 肌に奇妙な日焼けができた”
“ 家畜が500頭死んだ”
“ いや、うちでは羊が1500頭死んだ”
“ 生まれた子羊は、どれも脚が異様に短かった”
“ 子供たちがつぎつぎと白血病にかかっている”
“ セント・ジョージで目のない赤ちゃんが生まれた”
“ ネバダでも、目のない赤ちゃんが生まれた”
“ 井戸水がホコリをかぶったように汚れている”
“ うちの女房がまた流産した”
“ 子供たちの甲状腺異常が増えている”
“ ピケットの店が癌のため繁盛している”
これらはすべて単なる伝聞でなく、事実起こったことだった。

1958年をもって、ネバダの大気核実験シリーズーーB期間――は一応完了し、そのあとは、3年後の1961年からはじまる地下核実験の新時代に突入した。

セント・ジョージ住民を中心とする、実に1200人近い人びとが立ち上がり、訴訟を起こしている。
これらの白血病は核実験によるものだと思うかとの質問に対して、ライオン博士は答えた。
それが、私の引き出し得る唯一の結論だ。データを見つめれば、それが明らかになってくる。
大変な数である。たとえば、ユタ州南西部のモルモン教徒の男性では、白血病の発生率が通常の370パーセントにも達している。女性では、甲状腺癌が、やはり300パーセント近い発生率となっている。
と、それぞれの癌について、異常な増加を学問的に明らかにしはじめた。
マスコミ界の動きも活発で、この訴訟が世論を動かしはじめた。
これを並行して、元軍人による過去の内部告発が続いている。

ポール・クーパーの死と、遺されたナンシー未亡人の反骨精神は、消えなかった。
これら映画人、住民、軍人の三者とも、国家を訴えている被害者は、いま進行中の病気と闘いながら、同時に、裁判とも闘わなければならない。

「私の住むパロワンでは、癌患者の出なかった家は、おそらく一軒もないでしょう。けれど、私たちはみな、互いに助け合ってきました。癌にかかった人たちが、互いに看病し合ってきたのです」
スーザン・ヘイワードに代って、息子のティム・バーカーは語ります。
「私は知りたい」と。
原爆実験が母を殺したかどうかを、私は知りたいのだ。