2011年10月29日土曜日

北海道の新十津川町長らが母村を激励

 北海道新十津川町の植田満町長らが1013日、台風12号の豪雨被害に見舞われた奈良県十津川村を訪れ、見舞金5000万円と義援金1300万円の目録および同町の小中学生がつくったビデオレターなどを贈りました。

新十津川町は、人口7180人の小さな町です。ちなみに十津川村の人口は4024人です。新十津川町民は、一人約1万円を出したことになります。新十津川町の人にとっては、移り住んで120年が経過していますが、やはり帰巣本能をくすぐるのでしょう。

余談ですが、この町から、先日、経済産業大臣を辞めた鉢呂氏が出ています。

新十津川町は明治22(1889)年に十津川村を襲った大水害を機に村民が移住し築いた町です。新天地の北海道に移った十津川村民の苦労は、相当なものでした。村史にも詳しく書かれています。今回、120年の歴史を背景に「母村」を支援したわけです。

  新十津川町は今回の災害で同町職員3人を十津川村に派遣しています。植田町長は「水害と移住のことを思いながら今回の被災状況を見た」と話し、出迎えた上村次郎十津川村副村長は、「先人が立派にくぐり抜けたように私たちも頑張りたい」と応じました。十津川村の早い復興を祈ります。そして、復興が出来た後には、十津川温泉にゆっくり浸かり、ヤマメその他を食したいものです。

2011年10月28日金曜日

放射線量は1960年代と同水準(2)

 茨城つくば市の「気象研究所」によると、放射性物質が最も多く地表に降ったのは1963(昭和38)6月で、1平方メートル当たり55万㍉ベクレル。米国や旧ソ連が繰り返した大気圏内での核試験で拡散した放射性物質が日本にも降り注いだためでした。この時期の数年間、セシウム137などの月降下量は1平方メートル当たり数万~数十万㍉ベクレルを観測しました。その後、90年代以降、セシウム137の月間降下量はピーク期の1万分の1以下となる10㍉ベクレル程度に落ち着いてきました。

放射線医学総研究所(千葉)は、現在の東京に60年代と同じレベルの放射物質が降っていることについて「健康への影響はないと考えられる」としています。「このレベルの放射能が健康に影響するなら、5060年代を生きた世代のがん発症率や死亡率が、他の世代より高くなるはずだが、そうした統計的なデータはない」からです。

こんな指摘もあります。「日本人の死因は、長らく①脳卒中②がん③心疾患―の順でしたが、81年にがんが首位になり、伸び続けています。5060年代に放射性物質を多くの日本人が取り込み、がん発生率が高まった」としています。

この指摘に対して、同研究所は、「がんは複合的な要因で発症するが、長寿になるほど発症率はあがるため、がんが増えた一番の理由は、日本人の長寿化と考えられる」と説明しています。「ストレスがたまると免疫機能が低下し、がんなどの発症率があがってしまう。神経質になりすぎるのも禁物だ」としています。

放射線量については、航空会社の客室乗務員などは、、ニューヨークを1往復すると、かなりの放射線量を被爆します。また、毎年のレントゲン検診でも浴びます。わたしは、前立腺がんの放射線治療で、コバルトを38回被爆(治療)しましたが、もちろんなんともありません。現在は、過剰な反応のような気がします。原子炉が、低音停止状態になれば、どんどん下がってゆくでしょう。雨の多く、地形の勾配が急な日本は、放射線も洗い流してくれると思います。