2014年7月31日木曜日

「死者の網膜犯人像(3)」

 「さっき、奥さんがご主人にとりすがって云われたのを聞いていたのですが、20分ばかりご主人を一人で置いたというのはどういう意味ですか」

「わたしがその先のマーケットに野菜と果物の買物に行きましたが、その間です」

「ご主人は、おいくつですか」

「61歳です」

「あなたが買い物に行かれるとき、玄関の錠をかけましたか」

「錠はかけませんでした。主人もいましたし、すぐに帰るつもりでしたから」

「すると、犯人は施錠のしていない玄関から入って二階へ上がり、ご主人を絞殺したと思われます」

「奥さんは帰宅してすぐに二階へ上がりましたか」

「はい」

「ご主人に近づいてその顔を上から見ましたか」

「え?どういう意味ですか」

「ご主人は両眼を開けていた。その顔をあなたは上から真正面に見ましたか、と言っているのです」

「死んでいるかどうかわかりませんから、顔に声をかけ、体を揺さぶりました」

 この家は夫婦だけにしては広すぎる。

「前にどなたかこの家に同居されていたのですか」

「はい。一年半前までは二階に息子の安夫夫婦がおりましたが、千葉支店に転勤になって、市川市におります」

「山岸安夫さんですか。安夫さんは何年前に結婚されたのですか」

「二年前です。安夫さんは今年32歳のはずです。わたしは、重治とは10年前に一緒になりました。奥様が亡くなられたからです」

「失礼ですが、あなたの年齢は?」

「39歳です」

重治とは、22の違いである。

そこに捜査員が栗色のかわいい子犬を抱いてきた。

「階段下の裏にうずくまっていました」

 

2014年7月30日水曜日

「死者の網膜犯人像(2)」

 女の声で「主人が殺されています」という一報が、警察に入ります。 

 110番は、通報者から、犯行が行なわれた場所を確認します。

 「眼を開けていますか」
 
 「開けています。怖くて瞼を撫でおろせません」
  
「そのままにして、触れないでください。あたまの上に、毛布をふわりと掛けてください」

 「すぐに係官が行きます」

  先頭に立った係長が、門柱の中で佇んでいる女に警察手帳を示しました。

「すぐにご主人のところに」と案内させます。

女は家に上がり、階段の上をさしました。

係長は、大きくうなずくと、かなり古くなっている階段に一段ずつ白い布を置かせました。

死者の顔には、毛布がかけてあった。殺された男は眼を見開いているから、死の瞬間以後の網膜に、余計なシーンが入っては困るのである。

「早く、ホルマリン液を!」

鑑識課員が死者の側面に這って近づき、自分はのぞかないで、毛布の下から、用意したホルマリン液を二つ眼球に注射した。

 ホルマリン液は、網膜映像をその状態のままで固定させる。

 死者の顔は溢血していた。

 頸部に索条溝痕が痣の輪のように付いていた。かなり深い。

 鑑識課員が膝、足の関節に手を当てて、調べたが、まだ死後硬直は起こっていなかった。

 係長は妻の好江に悔やみをのべたあと事務的に云った。

「ご主人のご遺体は司法解剖のあと、お宅へお戻しします。多分、明日の夕刻になると思います」

救急車で運ばれる夫の遺体を門前で見送った好江が戻ってきた。

  入ってきた好江を見て、一瞬、化粧をしてきたのかと思ったが、化粧のあとはなかった。涙で洗い流されていた。好江は若かった。

 

2014年7月29日火曜日

「死者の網膜犯人像(1)」

   松本清張の「草の径」の中に標記の話があります。

江戸川乱歩の随筆集「幻影城」のなかに「網膜残像」という項目があるらしいのです。「死の刹那に見た犯人の顔が、解剖すると網膜に残っていて、犯人推定の手掛かりになる。こいいう話は昔からあって、よく小説にも使われたが、科学的には否定されていたところ、最近は肯定するような研究も発表されるに至った」とあります。わたしは、寡聞にして知りません。ここで、乱歩が「最近」と書いているのは、1953年ころの欧米をさしていると松本は言います。随分、古い話です。

「人間の眼球はちょうど写真機のようなもので、死は直ちにそのレンズの視力を失わせてしまった。だから眼球はシャッターを閉じられた写真機のように、二度と光はその中へ入れない。だから死の直前に映ったものこそ興味あるものと云うことができる」と書いています。

人間は死とともにその眼球に映った像は瞬間にして消失します。それを検出するなどとは、とうていでき得るものではない、とだれもが考えます。

さらに、松本は、「しかし、もしかりに、死者の網膜に最後の残った像が検出できるとなれば、殺人犯罪捜査の上でははかりしれない利益をもたらすにちがいない。殺人罪で処刑された中に無実の者がいるのではないか、と疑問を多くの人が持つ」と続けます。

被害者の網膜映像がその「死」から一定時間機能し続けていれば、最後の場面に登場している人物こそ犯人または犯行に関連のある重要人物となります。その映像を検出し、記録することができるなら、直ちに犯人を正確に指摘することができるでしょう。

 かりにこの方法が開発されると、従来のように多くの捜査員を投入して広範な地域にわたって聞き込みに走り回らせるとか、目撃者の話をもとにして似顔絵を作成して公開捜査をするとかの手間と費用はいらなくなると書きます。

 目撃者の話にしても、どこまで真実を伝えているかはわかりません。瞬間に目撃した人の眼が「不正確」なのは数々の実験が証明していると続けます。

 眼球医学が発達して死者の網膜映像を再現する高度技術が開発されて、法医学に寄与するとなれば、どんなに画期的なことかわからない。人間の心臓の動きが停止し、「死」の状態になった後も生体反応があるかぎり、約60分間、網膜の映像は依然として機能しつづけるといいます。そういう研究はなされていないだろうか。松本は「死者の網膜犯人像」の中で、このことを研究している研究者がいるらしいと自問自答しています。

 そして、次の短編小説を遺しています。